【悲しき】八甲田山雪中行軍をご存知ですか?【歴史のお話】
2007年6月22日 学校・勉強 コメント (4)なんとなくまぁ、流れで思い出したのですけれど・・。
私は20歳をすぎてからこの話を知りました(恥)
戦争関係は興味があって、戦争博物館とかいったりそういった番組はみていたんですけれど・・・知らなかった。
だからこそ、知ってほしいなぁと思い今日日記に書きました。
別に、大昔の今日あった話でもなんでもないんですが先日思い出したので・・。
「あぁ。。あったなぁ」って。
それは、実際日本で起こった事件です。
映画にもなりました。(高倉健様・・…(*ノノ) が出てます)
あまりに有名な悲劇。
日露戦争を目の前にした日本軍が、寒冷地でのデータを取りたくて起こってしまった悲劇なのでしょうか・・。
(悲劇のほうばかり知られて、実は実験で成功収めた部隊がいたのはあんまりしられてないみたいですけれど・・)
映画は実際と少し違うですね。
今日はその話でもしようかと思います。
興味がない方はまた明日!!(ぇ
。・゜・(ノд`)・゜・。
いあ、なくてもお時間ある方はぜひ・・(汗滝)
ハイ、話を戻そうかしら。
個人的にこちらのサイトがお勧めかな。
↓
http://toshibos-museum.com/hakkouda_TOP.htm
わかりやすいので・・。
時代背景・軍の実行計画・零下20度の吹雪の中どんな風に悲劇が起こっていったのか・・。
210名の部隊で生存者11名、うち多数が両手足切断(凍傷のため)、ほかの方は全員死亡・・。
軍国主義がいかに厳しいものなのか、昔の日本を今の若い人たちに知ってもらいたい気持ちです。
実は、身内で毎年10年おきに慰霊祭が行われていたらしいのですが、100周年ということで平成14年が最終慰霊祭だったとHPでみかけて胸が痛んだわけです。
少し話がそれますが、現代医学に関しても過去の捕虜たちがうけた恐ろしい人体実験・・などが大きく貢献してくださったおかげで発展しました。昔という時代が国境を越えて本当に恐ろしかったといつも痛感しています。
日本も戦争で多くの外国人捕虜を使ってウイルス投入したり、凍傷をはじめいろいろ残虐な実験もしてきたのですよ〜。
過去のそういった恐ろしい実験の礎になった方々を私たちは決して忘れてはいけないと思います。
そういった意味でも、八甲田山雪中行軍の慰霊祭がもう行われなくなることが悲しくも思えます。
世代的にはひぃひぃおじーちゃんたちの世代なので仕方ないのかもしれませんが・・。
私は忘れないでいようと思います。
特に、彼らになにもしてあげれないけれど忘れないでいてあげようって思います。子供ができたら大きくなったらそんな話もしてあげようって思う・・。
当時緘口令(かんこうれいっていって、だまってなさーいって命令ですw)がひかれていたらしいです。
でもこの話は、いろんなひとに知ってもらいたいですね。
生き残った方達も、手足がなくて本当つらかったのではないかと思います。亡くなった方も生き残った方も・・。
切断しないで済んだ将校三人は・・ようは装備がよかったんですね。
某資料館に倉石大尉は東京でゴム長を買い求めていたとありました。
一般兵よりやっぱりお金持ってたんですね(涙)
http://homepage2.nifty.com/abem/hisamatu.htm
こちらに生存者だった阿部寿松一等卒氏の末裔の方が詳しく写真つけてHPにしてありました。
義足などの写真もあります。ria’は義手・義足の写真ははじめてみました。
リアルです。
だって本当にあったことだから。
凍傷になると切断するわけですけれど・・、実際凍傷にかかった手や足の写真はみたことがなかったです。
痛々しい限りです。
余談ですが、生き残って手足がない方々は英雄とされて嫁希望者が殺到したという裏話もあったり・・。
今と昔では、本当時代が違うですね。
お国のために死ねる人なんて、今いないと想う。
そういう教育制度に、大戦後なったからなんだけど。
もちろんあたしも死ねないですよ!
に、したって今の世の中荒れすぎだなぁと想うわけで・・っ!
こういった方々がいて、今の私たちの生活があるのだということは忘れないようにしましょうね。
さて、この話はここでおしまい♪
昨日はひき肉が安かったのでハンバーグ作りました。
おいちくできてうれしぃですね…(*ノノ)
そして・・
野菜が駄目にならないうちに、またサラダ・・っ(ぁ
。・゜・(ノд`)・゜・。
レタス臭がgggggg!
まぁ、よいですけど。
とりあえず、アレです。
最近ご飯食べれてます。
そこらへん・・常に心配してくれている方々、安心してくださいってことがいいたいわけでっ!^^b
それだけです(ぉぃっ
それと・・もうすぐあかつき杯。
今日中に・・なんとかデッキとサイド固めないと明日練習会で試せないですー;w;
。・゜・(ノд`)・゜・。
そんなわけで、福島のみんな!
またあかつき杯でお会いしましょう(笑)
二ヶ月くらい会ってない悪寒。
そう
なぜなら、過去二回私あかつきお休みしたからでs(ry
(銃声)
orz
ではでは!
私は20歳をすぎてからこの話を知りました(恥)
戦争関係は興味があって、戦争博物館とかいったりそういった番組はみていたんですけれど・・・知らなかった。
だからこそ、知ってほしいなぁと思い今日日記に書きました。
別に、大昔の今日あった話でもなんでもないんですが先日思い出したので・・。
「あぁ。。あったなぁ」って。
それは、実際日本で起こった事件です。
映画にもなりました。(高倉健様・・…(*ノノ) が出てます)
あまりに有名な悲劇。
日露戦争を目の前にした日本軍が、寒冷地でのデータを取りたくて起こってしまった悲劇なのでしょうか・・。
(悲劇のほうばかり知られて、実は実験で成功収めた部隊がいたのはあんまりしられてないみたいですけれど・・)
映画は実際と少し違うですね。
今日はその話でもしようかと思います。
興味がない方はまた明日!!(ぇ
。・゜・(ノд`)・゜・。
いあ、なくてもお時間ある方はぜひ・・(汗滝)
ハイ、話を戻そうかしら。
個人的にこちらのサイトがお勧めかな。
↓
http://toshibos-museum.com/hakkouda_TOP.htm
わかりやすいので・・。
時代背景・軍の実行計画・零下20度の吹雪の中どんな風に悲劇が起こっていったのか・・。
210名の部隊で生存者11名、うち多数が両手足切断(凍傷のため)、ほかの方は全員死亡・・。
軍国主義がいかに厳しいものなのか、昔の日本を今の若い人たちに知ってもらいたい気持ちです。
実は、身内で毎年10年おきに慰霊祭が行われていたらしいのですが、100周年ということで平成14年が最終慰霊祭だったとHPでみかけて胸が痛んだわけです。
少し話がそれますが、現代医学に関しても過去の捕虜たちがうけた恐ろしい人体実験・・などが大きく貢献してくださったおかげで発展しました。昔という時代が国境を越えて本当に恐ろしかったといつも痛感しています。
日本も戦争で多くの外国人捕虜を使ってウイルス投入したり、凍傷をはじめいろいろ残虐な実験もしてきたのですよ〜。
過去のそういった恐ろしい実験の礎になった方々を私たちは決して忘れてはいけないと思います。
そういった意味でも、八甲田山雪中行軍の慰霊祭がもう行われなくなることが悲しくも思えます。
世代的にはひぃひぃおじーちゃんたちの世代なので仕方ないのかもしれませんが・・。
私は忘れないでいようと思います。
特に、彼らになにもしてあげれないけれど忘れないでいてあげようって思います。子供ができたら大きくなったらそんな話もしてあげようって思う・・。
当時緘口令(かんこうれいっていって、だまってなさーいって命令ですw)がひかれていたらしいです。
でもこの話は、いろんなひとに知ってもらいたいですね。
生き残った方達も、手足がなくて本当つらかったのではないかと思います。亡くなった方も生き残った方も・・。
切断しないで済んだ将校三人は・・ようは装備がよかったんですね。
某資料館に倉石大尉は東京でゴム長を買い求めていたとありました。
一般兵よりやっぱりお金持ってたんですね(涙)
http://homepage2.nifty.com/abem/hisamatu.htm
こちらに生存者だった阿部寿松一等卒氏の末裔の方が詳しく写真つけてHPにしてありました。
義足などの写真もあります。ria’は義手・義足の写真ははじめてみました。
リアルです。
だって本当にあったことだから。
凍傷になると切断するわけですけれど・・、実際凍傷にかかった手や足の写真はみたことがなかったです。
痛々しい限りです。
余談ですが、生き残って手足がない方々は英雄とされて嫁希望者が殺到したという裏話もあったり・・。
今と昔では、本当時代が違うですね。
お国のために死ねる人なんて、今いないと想う。
そういう教育制度に、大戦後なったからなんだけど。
もちろんあたしも死ねないですよ!
に、したって今の世の中荒れすぎだなぁと想うわけで・・っ!
こういった方々がいて、今の私たちの生活があるのだということは忘れないようにしましょうね。
さて、この話はここでおしまい♪
昨日はひき肉が安かったのでハンバーグ作りました。
おいちくできてうれしぃですね…(*ノノ)
そして・・
野菜が駄目にならないうちに、またサラダ・・っ(ぁ
。・゜・(ノд`)・゜・。
レタス臭がgggggg!
まぁ、よいですけど。
とりあえず、アレです。
最近ご飯食べれてます。
そこらへん・・常に心配してくれている方々、安心してくださいってことがいいたいわけでっ!^^b
それだけです(ぉぃっ
それと・・もうすぐあかつき杯。
今日中に・・なんとかデッキとサイド固めないと明日練習会で試せないですー;w;
。・゜・(ノд`)・゜・。
そんなわけで、福島のみんな!
またあかつき杯でお会いしましょう(笑)
二ヶ月くらい会ってない悪寒。
そう
なぜなら、過去二回私あかつきお休みしたからでs(ry
(銃声)
orz
ではでは!
コメント
戦時中の軍隊においては上官の命令は絶対的なもの。死を覚悟していた隊員も少なくなかったと思います。
人生において限りなく広い選択肢が与えられている僕ら現代人にとって、極限まで行動が制限された環境を生きた彼らから学べることは少なくないはず。
選択肢が広いということは、言い換えれば誤った選択をすれば落ちるところまで落ちる可能性があるということ。自由という言葉に甘えることなく、自己責任で自分の人生を歩んで行こうと改めて感じました。
自分の考えを省みるいい機会になりました。ありがとうございます。今度、映画も見てみます。
若い人にも考えるいい機会になればと思いました。
そして今度そのビデオ鑑賞会是非私も参加させてくださいw
カナ師匠たちも巻き添えで(ぇ
(o^-’)b
6月23日は沖縄では慰霊の日です。俺のおじいさんも、戦死しました。しかも遺骨は見つかってないです。
糸満市にある「平和の礎」に刻まれた名前だけが、唯一の繋がりです。
今の日本がだんだんおかしくなっていることが、すごく悲しいです。集団自決の内容も、教科書から削除されました。
もっと今の若者(政治をなさっている年配の方も)の平和を考えてほしいと思いました。
そのとうりですね。
実は・・私のおじいちゃんの兄弟も戦争いって遺骨はみつかっていません。その方は外国(アジアのどこか・・国の名前はわすれちゃったけど・・)へ戦争へいったそうです。
昔は、遺骨がみつからないなんてあたりまえだったみたいですね。
遺族が、骨を取りにいくと・・国からは大きな木箱をもらったそうです。からん、ころん・・。
その中には・・骨の音ではなく戦争で外国へいった現地の石ころが入ってたそうです。
悲しいけれど・・そういう時代、そういう日本だったのです。
今は平和でいい時代だけど平和という昔のひとたちが築いてくれた時代に甘んじることなく毎日をがんばっていきたいなって思いますね><b
沖縄戦、調べてみます^^